第2話『組織とは何か』
2007年08月16日
今回は、そもそも組織とは何であるか?ということについて考察していきたいと思います。
チェスター・I・バーナードは主著『経営者の役割』で、なぜ人は組織を
創るのか という問いにこう答えています。
「人間の欲求には果てがない。目標が達成されるとさらに高い目標を
達成 したくなる。そのうち他人と協働することで自分ひとりではできな
かった 高い目標が達成できることに気付く。組織の始まりだ」・・・
ナードは、組織とは 「2人以上の人々の意識的に調整された活動や
諸力の体系」と定義しています。そして、組織成立の要素は、 「共通
目的 貢献意欲 コミュニケーション」 の3要素だと説いています。
共通目的については、客観的目的が、協働体系の基礎 として役立つ
のは、その客観的目的が組織の決められた目的であると組織に貢献
する人によって信じこまれている目的である必要があると説明しています。
ここで面白いのは、「重要なのは、ある目的がそれぞれの個人にとって
どのような 意味を持つかということではなく、その目的が組織全体にとって
どのような意味が あるのかということを、個人がいかに考えるかということ」
と述べている事です。つまり、個人の価値観として会社の目的(なぜ在り、
何のために存続し、何を大事に し実現したくて行動しているのか)に疑問を
差し挟むのではなく、会社の成長にとって その目的がどのような価値を
提供し、促進剤になっているかを考える個人が集まって いることが重要だ」
と言っているのでしょう。発想の根源を「私の立場」からではなく 「成果を
上げる」から始めろと言っています。平たく言えば、社員は会社を富ませる
ことに絶対的に集中し、そこで協働し、その行動で得た利益に対してわがまま
勝手に個人の 権利や価値観を注入すれば良いということではないでしょうか。
その意味で言うと、経営者も従業員も会社を富ませるための機能であり、
マネージャーは最大効果・最大効率を実現させる機関であるといえますね。
つまり、個人のスキル・ ノウハウ・感情・意志をフル活動して成果を出し続け
ることに集中する。上司も部下も勤続年数も関係ない。成果を出すことで繋が
っている関係で目的・目標の下では全てが平等 もともと理解しあえない個人の
価値観で仕事をするなんていうのは、 組織成長を阻害する悪魔の所業・・・。
そんなことから、会社の問題として井戸端会議的なことを挙げるのは「目線が
低すぎるルール違反」ということになるのではないでしょうか。 会社というもの
をそんな場所だと思ってはいけません。会社は常に倒産の危機に さらされて
います。競合に勝てなければ潰れますし、市場の変化に敏感に対応できなけ
ればいつの間にか市場退場を勧告されてしまいます。だから「外部適応」 し
続けるために「内部統合」を常日頃より磐石にしておく必要があります。いざと
いう 時に素早い機動力とブルトーザーのようなバイタリティで難局を乗り切る
ことができるかがポイントです。社員同士が感情的に浅い付き合いであろうと
深い付き合いであろうとどちらでも良いのです。
要は力が出せる組織かどうかということが重要なのです。会社の危機に自分
の利益を守る 観点から一致団結しようと思えない人はその組織にいるべきで
はないでしょう。
組織というものの本質が見えて来たのでないでしょうか?
『あるべき組織』とは、求めれば全て与えられ叶えられるが、成果を上げない
行為に 対しては冷徹に厳然と全てを奪う。成果を上げるために協働する場
なのです。 組織はわがままな個人が生かされる場であって然るべきで、そこ
に感知はしません。 成果を上げる行為・行動を良しとし、その逆を悪とする。
これが組織というものの 基本的価値観なのです。
さて、現実感のない理屈と理想で組織を眺めてみましたが、「共通目的」とは
上記のような目線で組織を捉えれば理解できそうです。つまり「共通目的」とは
理念のもとにビジョンを達成しようとする会社の意志であり、会社の存在意義
のことであります。混乱や混沌といったウニウニしている状況では、「そもそも
論」という 意義付けが大事であり、意義付けによって人は歩みを始めます。
ちなみに、産業能率大学の妹尾助教授はこの意義付けを「リオリエンテー
ション」と呼び、 マネジメント手法の革新をこのリオリエンテーションで図ろう
としています。